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単位についてあれこれ ~単位の歴史「人類の歴史は計量と共に」 (2/3) ~

前回コラム「人類の歴史は計量と共に(1)」(度(長さ)の歴史上の話)はこちらから

人類の歴史は計量と共に(2)

今回は、量(体積)の歴史上の話をしていきたいと思います。

日本では尺貫法による体積の単位として“升”が使われていました。この“升”という単位、日本の歴史を遡ると701年に施行された大宝律令で度量衡制度の法定化がされましたが、長い間容量が統一されず時代や地域でまちまちなものでした。

時代は流れ、戦国時代になり織田信長、豊臣秀吉、徳川家康へと天下統一がなされた頃、枡の基準・容量も同時に統一されていきました。

織田信長は楽市楽座を推奨しました、今でいうと経済政策にあたります。商業発展の為には量の基準が不可欠であり、この頃から“升”の量が統一されていきます。その後、天下統一を果たした豊臣秀吉によりなされた太閤検地により、当時京都を中心に広く使用された京枡を年貢収納の基準としました。これにより石高算出のため初めて全国一律に一升の容量が統一されました。その一升枡の大きさはというと、縦横が5寸、深さが2寸5分だったと言われています。

その後、枡はその正確性を維持するために枡座が作られました。徳川家康による江戸幕府成立後、枡座は京都と江戸にそれぞれ設けられました、それぞれ京枡と江戸枡とよばれました。ところが、幕府の成立によって京都の枡座への統制が緩くなり、豊臣政権時代のより大きな枡(縦横4寸9分、深さ2寸7分)が作られるようになりました。現在の約1.8 Lにあたります。それにより、旧来の方法で作られていた江戸枡(豊臣政権時代の京枡)との差異が生まれてしまいました。幕府は、1669年に現行の京枡を一升の基準とし、現在に至る一升の大きさになります。

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