2020/07/21
【編集後記】ゆるふわ取材日記Vol.1
梅雨前線の長期停滞により異例の記録的大雨が続きました。洪水などの豪雨災害により被害に遭われたすべての方に心よりお見舞い申し上げます。
たまさか更新の“ゆるふわ取材日記”
第一回目は、「季節のバナー画像シリーズ」(※1)第30号の取材日記〔埼玉県大里郡寄居町〕をお届けします。
埼玉県大里郡寄居町は、かつて鉢形城の城下町で秩父往還の宿場町として栄え、荒川上流域がもたらす豊かな自然環境に恵まれた水の郷です。また町の中心部にある寄居駅は東武鉄道の東上線、秩父鉄道の秩父本線、JR東日本の八高線の3路線が接続するターミナル駅になっています。 寄居駅の南口を降りるとまず目に留まるのは、2013年に閉店したライフ寄居店(大型商業施設)の廃墟です。ライフの駐車場はタイムズに変わって利用されていました。
曇天がもたらす雰囲気なのか、かなり寂しい駅前です。対照的に北口側には立派な町役場庁舎が建っていました。 ここから路上を南下すると荒川に架かる正喜橋が見えてきます。橋の手前を西側へ路地を入っていくと京亭に着きます。 鮎料理のコースもさることながら、佐々紅華(※3)の邸宅として建築された数寄屋造りの建物と荒川を望む日本庭園、そして美人で気立てのよい仲居さんのおもてなしもあり、時間を忘れて心ゆくまで楽しむことができました。これまでの取材の中で一番贅沢な時間だったかもしれません。 池波正太郎も随筆集「よい匂いのする一夜」(講談社文庫)の中で京亭について、「自分の家のような旅館・・・・・」と居心地の良さを称賛しています。
時代は変われどもよい伝統が受け継がれているようです。すでに2か月先まで予約でいっぱいだとか。。
一度行ったら再訪者(リピーター)になるのは誰しも当然の流れでしょう。 優雅な気分で京亭を後にして正喜橋を渡り、日本百名城にも選定されている鉢形城址の取材をしました。 戦国時代、北条氏による北関東支配の拠点となった鉢形城。最後は豊臣秀吉の小田原征伐にて攻防戦を展開し、1か月に及ぶ籠城戦の末に北条氏邦は開城したと言われています。 なるほど、天然の要害と言われるだけあって、荒川と深沢川を堀に見立てた断崖の上にありました。今も随所に曲輪や空堀の跡が残るのを見ながら戦国の世に思いを馳せます。
寄居の荒川は玉淀(※4)と呼ばれる名勝で、大正から昭和にかけては七代目松本幸四郎のような文化人の別邸や旅館なども川沿いに集まり、観光地として賑わっていたということです。町並みがどこか寂しそうだったのは、かつて繁栄し今は朽ち果ててしまった昭和の遺物が所々に残されているからでしょうか。 全国名水百選認定の「風布川(ふうっぷがわ)と日本水(やまとみず)」、また水源の森百選に認定されている「日本水の森」など水郷である寄居には、水が育んだ生態系によってホタルやトンボ、清流には鮎をはじめサンショウウオやサワガニが生息し、夏にバーベキューや水遊びで賑わう「かわせみ河原」に冬は白鳥が飛来します。その河原を見下ろすように立つ日本一の大水車は、川の博物館(かわはく)内にあり、町のシンボルになっています。
(おわり)
※1:入口はTechEyesOnlineトップ画面の一番下のバナー部分にあります。※2:時々、TechEyesOnline会員様向けにおすすめの取材地を教えていただくアンケートを実施しています。
※3:生没年1886-1961。浅草オペラの創始者で作曲家。「君恋し」「祇園小唄」「唐人お吉」などのヒット曲がある。
※4:水がゆるやかに流れる様を玉の色に見立て、「玉のように美しい水の淀み」だというのが「玉淀」の名の由来。(出典:寄居町ホームページ/寄居町観光協会ホームページ)
(季節のバナー画像シリーズ取材班)