計測関連用語集

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J-PHONE(じぇいふぉん)

2000年頃にあった携帯電話の通信事業者(キャリア)のブランド名で、当時はNTTドコモ、auに次ぐ第3の携帯電話キャリアだった。JRの路線沿いに敷設した光ファイバで全国ネットワークを構築していた日本テレコムは、傘下のデジタルホン、デジタルツーカーで1990年代に携帯電話に参入し、デジタル1.5GHz帯でサービスを行った。2000年頃にJ-PHONEと名乗ったが、紆余曲折の後、現在のソフトバンクの携帯電話事業になっている。 携帯電話(2G)サービスを展開していたデジタルホン3社とデジタルツーカー6社が、1999年10月に全国統一ブランドのJ-PHONEとなった(会社名もこの頃に変更している※)。携帯電話(端末)の表示部の上部には「J-PHONE」と大きく印刷されていた。1994年サービス開始以来、大きな加入者数獲得ができなかったが、2000年11月開始のカメラ付き端末「写メール」が大ヒットし2003年5月には1000万人を突破した。2002年11月に(当時の)世界最大の携帯電話会社Vodafone(ボーダフォン、英国)が資本参加し、国際ローミングサービスも開始した。2003年10月にブランドと会社名をVodafoneへ変更(つまり、J-PHONEは1999年から2003年の4年間にだけ存在した)。2006年3月に英ボーダフォンはボーダフォン日本法人をソフトバンクに譲渡すると発表。現在のNTTドコモ、auに並ぶ、ソフトバンクの携帯電話ブランド、SoftBankが誕生した。 (※)「東京デジタルホン」や「J-PHONE」は 1997年と1998年に商標登録されている。J-PHONEはJ-フォンやJフォンとも表記された。東京デジタルホンなどの会社名は1999年にJ-フォンになった(例えば東京デジタルホンはJ-フォン東京)。その後、会社名はVodafone、日本法人はボーダフォンになった。一般的にブランド名と会社名は同じ場合と違う場合がある(違っていても、時期によって同じだったケースもある)。1999年10月にデジタルツーカー各社は「J-フォン」を冠した商号(会社名)に変更した、といわれている。1993年に建設された神奈川県横浜市の鉄塔(基地局)の銘板には「株式会社東京デジタルホン」とある。鉄塔の他の箇所には「J-フォン東日本(株)」という表記もある。デジタルホンは1994年にサービス開始した携帯電話の通信事業者だが、1997年から呼称をJ-PHONEへ移行し、社名も1999年10月にJ-フォン〇〇になったと思われる。つまり会社名はJ-フォンでブランド名がJ-PHONEである。2000年10月にJ-フォン東京はJ-フォン北海道、J-フォン東北と合併してJ-フォン東日本になった、という記録もある。携帯電話端末にはJ-PHONEとあるので明確だが、会社はなくなっているので、J-フォンがどの期間にどんな会社名で存在したのか、よくわからない。Jフォンという(「-」がない)表記はJ-PHONEを日本語読み(カタカナ表記)しようとして、Jフォンと表現したと思われる。 今では当たり前の、携帯電話にカメラが標準装備している走りは、J-PHONE(Jフォン)の写メールである。同様にNTTドコモが1999年に始めたiモード(携帯電話でのネットワーク接続サービス、アイモード)も一時代をつくった。現在のスマホの第一の機能は(電話ではなく)ネット検索やSNS(Social Networking Service:Facebook、LINEなどのような、Web上でのネットワーク構築)である。 写メールとは、カメラ付き携帯電話で撮影した画像を携帯電話の電子メールに添付してやり取りすることができるサービスのことで、俗語の「写メ(しゃめ)」は流行語となった。2000年11月発売のJフォンのカメラ内蔵・カラー端末のモデル名は「J-SH04」。このSHはシャープ製を意味する。当時の携帯電話端末メーカはNTTドコモに納品するNEC、パナソニック(松下通信工業)など、mova(ムーバ)以来の、いわゆる電電ファミリーがトップメーカで、シャープは携帯電話では後塵を拝していた。キャリアの巨人、NTTドコモに採用されなかったシャープが、携帯電話に写真機能を付けることを思いつき、キャリアとしても後発で伸び悩んでいたJフォンでヒットさせる成功物語が、NHKの人気番組、プロジェクトXで紹介されている。 日本では1990年代に携帯電話サービス(アナログ方式)が始まり、1995年にはガラケーの初号機であるmovaが発売され、2001年にはデジタル化(W-CDMA)されている。1990年代から2000年代は日本の家電各社はこぞって携帯電話に参入し、市場を牽引する大きな規模になった。そんな2000年にシャープがJフォンでヒットするモデルをつくった話は、格好のサクセスストーリである。三洋電機もNTTドコモ以外でシェアを伸ばしている。ただし、2010年代には日本の携帯電話はiOSに駆逐され、現在は国産の純粋な携帯電話メーカはなくなった(アップルのiPhoneの台頭)。シャープも台湾企業に買収され、中華資本となった(国産メーカではなくなった)。三洋電機は会社自体が解体して、なくなってしまった。 携帯電話は最先端の技術を詰め込んだ、日進月歩の超小型の通信機器であり、コンピュータである。携帯電話とそれを運用するシステムの構築には、研究開発から設計、試験、修理、保守にわたり、多種類の高額な計測器が使われる(ほとんど百万円以上/台。1千万円以上のモデルも珍しくはない)。アンリツ、キーサイト・テクノロジーなどの移動体通信用計測器メーカと、その計測器(数百億円)を商材として保有する計測器レンタル会社は、日本市場で大きな売上増とその消失という激変を1990年代から2000年代に経験した。携帯電話用の特殊な高額計測器が不良資産となり、計測器レンタルのビジネスや、レンタル事業そのものから撤退する一因となったレンタル会社は1社だけではない(当時7社あった計測器を取り扱うレンタル会社は、現在は3社となった)。平家物語ではないが、栄華と没落は一体(栄枯盛衰)である。J-PHONEはなくなったが、NTTドコモ、KDDI(au)と競うSoftBankに引き継がれた。

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