2020/07/21
季節のバナー画像シリーズ【Vol.30】寄居の鮎めし
“TechEyesOnline”のバナー画像として採用した取材先をご紹介していくシリーズです。
うつろい変わりゆく季節感や日本の四季折々を、TEO取材班がお届けします。 第三十回は、“寄居の鮎めし”です。
京亭の鮎飯
容姿が美しく、食味も良いことから清流の女王と言われる鮎。古来より初夏の使者として日本人に深く愛されてきた。 たとえば、万葉集には魚が出てくる歌が32首あるが、そのうち半数の16種が鮎だそうだ。また、古事記や日本書紀にも「年魚(あゆ)」という名前で登場している。平安時代中期の辞書「和名類聚抄」にこう記されている。「春生じ 夏長じ 秋衰え 冬死す 故に年魚と名づくなり」 つまり、四季を通じて誕生から死までわずか一年足らずの儚い命を思う侘寂(わびさび)の心が、年魚という名に込められている。いつから今の「鮎」になったのかはわからない。(※1) 鮎は見た目によらず攻撃的で、自分の縄張りを守るために侵入してくる同類を攻撃する。この習性を利用した釣りの方法が友釣りで、四国の四万十川などが有名だ。縄張りを守るのは川石に付着した藻を守るためで、鮎は基本的に藻しか食べない。故に内蔵の香りが良く、香魚とも呼ばれる。 新鮮な生鮎の匂いを嗅いだことがあれば、スイカやキュウリに似た香りがするのはご存知かと思うが、これは藻食とは関係が無く、皮膚やエラなどに蓄えられた酵素によって体内の多価不飽和脂肪酸が分解されて、あの独特の匂いとなっているそうだ。ちなみにキュウリのような「ノネナール」という匂い成分は人間の加齢臭と同じものらしい。
うんちくはさておき、今が旬の鮎をいただこうと埼玉県の寄居町を訪れた。 寄居は、かつて戦国時代に武州を支配した北条氏の拠点となる鉢形城がある城下町だった。今は鉢形城址となっている地と荒川を挟んだ対岸に鮎の宿「京亭」がある。 ここで心ゆくまで鮎料理を堪能した。特にまるごとの鮎を熱い飯の上で蒸らしてから身をほぐして飯に混ぜて食べる鮎飯は絶品で、食通で知られる作家 池波正太郎の随筆集「よい匂いのする一夜」でも紹介されている。(※2)
京亭で一番大きい二階の部屋からは荒川が一望できる。池波もこうして眼下に荒川を眺めたことだろう。 寄居の荒川は「玉淀」と呼ばれ、その流れの美しさから景勝地として、昭和の初期頃までは川べりに文化人の別邸や旅館などが並んで大いに賑わったという。 荒川は甲武信ヶ岳を水源とし、秩父山系の水を集めつつ長瀞を流れ、ここ寄居で関東平野へ渡る。水とこの町のつながりは深い。水に育まれた生態系がつくる自然の恵みを受けてこの町の人たちは生きてきた。 水の郷・寄居の象徴として、日本一の大水車(※3)が荒川を仰ぐように建っている。
※1:諸説あるが、神功皇后(第十四代仲哀天皇の皇后)が、新羅遠征を前にアユ釣りによって戦況を占ったことから魚へんに占うの鮎になったというもの。
※2:池波は「忍びの旗」という新聞連載小説執筆にあたり、舞台となる鉢形城の取材のため、京亭に宿泊している。
※3:埼玉県立川の博物館(寄居町)内にある大水車。2019年(令和元年)7月にリニューアルし、直径24.2mとなり日本一の大きさ(2020年7月現在)の水車となった。尚、博物館には荒川と人々のくらしと関わりがメインテーマの屋内展示や、川に関する文化や自然などをテーマにした企画展示が常設されている。更に日本一の荒川の模型もある。
寄居の鮎めし
【お問い合わせ】
枕流荘 京亭
TEO取材班
(取材日:2020年7月8日)
(取材日:2020年7月8日)
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こちらの取材内容については【編集後記】ゆるふわ取材日記Vol.1で詳細内容を公開していますのでそちらも是非どうぞ! TechEyesOnline について
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